2020年02月19日
いつも心はニュートラル
同じ場所でも
見方や見る点を変えると
見え方が変わる
その人のスタンダードなポジション
その関係性で色々と変わるんだろなと思います
瞳の水晶体の光の捕らえ方だったり、吸収の仕方だったり、反射のさせ方だったり、珈琲を見るときの個別の感覚の違いというのもそういうのだろうなと思います。
珈琲の感覚の話しは、その人のバックボーンの話し、浅煎りのコーヒーの感想として焼いたトーストの匂いという表現、表現は評価ではなく会話としてありたい、椿の絵の人の話しもそうでした、自由は評価の対象からどう外れるかということだなと思います
The mind is always neutral
同じ場所でも
見方や見る点を変えると
見え方が変わる
その人のスタンダードなポジション
その関係性で色々と変わるんだろなと思います
瞳の水晶体の光の捕らえ方だったり、吸収の仕方だったり、反射のさせ方だったり、珈琲を見るときの個別の感覚の違いというのもそういうのだろうなと思います。
珈琲の感覚の話しは、その人のバックボーンの話し、浅煎りのコーヒーの感想として焼いたトーストの匂いという表現、表現は評価ではなく会話としてありたい、椿の絵の人の話しもそうでした、自由は評価の対象からどう外れるかということだなと思います
The mind is always neutral
Posted by mokuren at 18:05